まさか、この歳になって、またこの体操服に袖を通す日が来るなんて、本当に想像もしていなかった。同窓会の特別イベント、「青春リバイバル運動会」。正直、どんなものかよく分からなくて、始まるギリギリに会場に滑り込んだ。
そして、そこで見た光景に、私は言葉を失った。
会場にいたほとんどの同級生が、あの、懐かしい体操服姿だったのだ。白くて、少しゴワゴワした生地。首元と袖口の、あの特徴的な紺色のライン。遠い記憶が、一気に鮮やかに蘇る。皆、まるでタイムスリップしてきたみたいだ。
壁には、色褪せた一枚の模造紙が貼られていた。「校内における服装規定」。その中に、赤字で強調されていた。「体育の授業及び部活動、学校行事においては、指定体操服以外の着用を一切禁止とする。」懐かしい、厳格な校則だ。まるで、あの頃の学校にそのまま迷い込んだみたい。
戸惑っている私の目の前に、イベントスタッフらしき同級生のミキが、申し訳なさそうな顔で近づいてきた。「あ、好美!ギリギリセーフ!これ、みんな着てるよ。」と、ビニール袋に入った、見慣れた体操服を手渡された。半袖の体操服と、あの、ブルマー。
「え…?」と思わず声が出た。「着替え室、あっちだから!」と、半ば有無を言わさぬ勢いで促される。
まさか、本当にあの体操服を着るなんて。しかも、皆が当たり前のように着ている。この、強制的な状況に、心臓がドキドキした。嫌だ、と思ったはずなのに、体の奥底では、何かが騒ぎ始めている。
あの頃、毎日嫌々着ていたはずの体操服。セーラー服の襟元から、あの紺色のラインがチラリと見えるのが、本当に嫌だった。垢抜けない、野暮ったい気がして。友達と「また体操服見えてるよ!」なんて言い合って、慌てて襟を直したりしたっけ。
でも、今、この状況に置かれて、あの頃感じていた、かすかな、本当に誰にも言えなかった感情が、ふつふつと湧き上がってくる。この、有無を言わさず、皆と同じ格好をさせられるという強制力。その中で、妙に落ち着いてしまう自分。そして、あのゴワゴワした生地が肌に触れる感触に、ほんの少しだけ、隠された喜びを感じてしまうのだ。
中学の三年間、私の夜のルーティンは、風呂から上がると、洗い立ての体操服に身を包むことだった。夏はそのまま、それが私のパジャマ代わり。冬は寒ければ、その上に普段着のパジャマを着るか、学校指定の、あのダサいジャージを羽織った。でも、肌に直接触れるのは、いつもあの白い体操服だった。
そして朝。寝ぼけ眼で、パジャマ代わりに着ていた体操服の上に、重たいセーラー服を被るだけ。だから、私の朝の準備は、驚くほど早かったのだ。まるで、体操服は、私の日常に溶け込んだ、第二の皮膚のような存在だったと言える。そして、その、常に体操服を着ているという、半ば強制的な状況に、言いようのない安心感と、ほんの少しの、隠れた喜びを感じていたのかもしれない。
体育の時間は、もっとダイレクトに体操服と向き合う時間だった。男子もいる教室で、躊躇なくセーラー服を脱ぐ。スカートの下はいつもブルマーだったから、着替えに手間取ることもなく、恥ずかしいという感覚も、なぜか麻痺していた。今思えば、あれは本当に不思議な文化だった。パンツとほとんど変わらない露出度なのに、ブルマー姿で平気でいられた。あれぞ、昭和の感覚、なのかもしれない。
体育の授業が終われば、そのまま体操服姿で午後の授業を受けるのが当たり前。汗を吸った体操服が、少しベタつくのが、当時の日常だった。その肌にまとわりつく感触も、今、再び感じると、嫌なはずなのに、どこか懐かしい。そして、ブルマー特有の、少しだけ締め付けられる感覚も、あの頃は意識していなかったけれど、もしかしたら、この、強制的なユニフォームに身を包むことで、心のどこかで安心感を覚えていたのかもしれない。
放課後の部活動も、もちろん体操服一択。Tシャツなんて、自主的なものは許されなかった。学校指定の、あのダサいジャージを着るのも、部活の時だけ。部活が終われば、汗だくの体操服の上にセーラー服を羽織って帰路につく。
家に帰ると、セーラー服を脱ぐ。すると、またあの体操服姿に戻る。それが、私にとっての日常だった。まるで、セーラー服は一時的な“お出かけ着”で、体操服こそが、私の肌に一番近い存在だったのだ。そして、その、常に体操服を着ているという、半ば強制的な状況に、言いようのない安心感と、ほんの少しの、隠れた喜びを感じていたのかもしれない。
まるで、平日はずっと、身体を何かで覆われているような感覚だった。セーラー服と体操服という、二重のレイヤーに包まれて、私は毎日を過ごしていた。囚人のようだ、と感じたことも一度や二度じゃない。自由のない、管理された生活の象徴のように思えた。
でも、不思議なことに、その束縛感の中に、どこか諦めにも似た、妙な安心感があったのも事実だ。そして、その下には、いつもあのゴワゴワした体操服が、私の肌に直接触れていた。その、否応なく身につけさせられる感触が、今改めて考えると、私の中に、微かながらも確実な、ある種の快感を呼び起こしていたのだ。この、強制という名のヴェールの下で、私は、ひそかに安堵していたのかもしれない。
「でも、休日はさすがに私服を着るんでしょう?」今、そう思ったでしょう?ふふ、甘いですよ!
昭和の管理教育を知らない人たちは信じられないだろうけど休日も部活動に明け暮れる毎日。日曜日の朝、目を覚ますと、すでに私は体操服を着ている。それが当たり前の光景だった。ただ、平日のようにセーラー服を着る必要がないだけ。体操服姿のまま、自転車に乗って学校へ向かい、朝から夕方まで部活動に汗を流す。家に帰って、汗でぐっしょりになった体操服を脱ぎ、着替えるのは、また新しい体操服。だって、次の日もまた部活があるから。
完全に部活が休みの日でさえ、なぜか体操服で過ごしていた。それが、私の青春時代の日常だった。私服を着るのは、本当に特別な、数少ない機会だけだった。そして、その数少ない私服を着る時よりも、なぜか、洗い立ての体操服に袖を通す時の方が、ほっとするような、安心するような、そして、どこか、満たされるような、そんな不思議な感覚を覚えていた。この、強制的な日常着こそが、私にとっての、隠された安息だったのかもしれない。友人のミキも全く同じことを言っていた。
そして今、この同窓会で、私は、半ば強制的に、この体操服を着ている。会場の異様な一体感と、壁に貼られた懐かしい校則が、そうさせるのだ。
けれど、袖を通した瞬間に蘇ったのは、あの頃の、そして今も確かに存在する、この、強制されるが故の、微かな快感だった。襟と袖だけ紺色ラインの半袖体操服とブルマー。胸には、今更ながら自分の名前が書かれたゼッケン。皆と、どこか懐かしい、けれど新しい時間を共有している。あの頃と同じように、汗をかき、息を切らしている。
でも、あの頃と変わらないのは、私の日常には、常にこの体操服が寄り添っていたということ。そして、この、強制という名の状況が、私の中の、普段は意識しない、少しばかり変わった感情を、鮮やかに浮かび上がらせているということ。ああ、私は、あの時から、この、強制の中にこそ芽生える、不思議な感覚を知っていたのだ。そして、今、この集団の一員として、再びそれを感じている。
あの頃の私は、ただひたすらに、目の前のことに一生懸命だった。おしゃれをする暇も、遊ぶ時間もなかったけれど、それはそれで、一つのことに打ち込んだ充実感があったのも事実だ。この体操服は、そんな、あの頃の私を、まざまざと思い出させてくれる。
そして、あの頃の、少し不自由だったけれど、懸命に生きていた自分を、今の私が、少しだけ肯定できているような気がするんだ。そして、この体操服を着ている自分の中に潜む、この、人には言えない小さな秘密を、今は、そっと抱きしめている。
クラスメートのみんな、こんな、少し変わった形で過去を思い出させてくれてありがとう。この体操服を着て、また、新しい思い出を作ろう。この、少し恥ずかしいけれど、どこか愛おしい、そして、私だけの特別な感情を呼び覚ます体操服と共に。この、強制的な一体感の中で感じる、不思議な安堵感と、微かな喜びを胸に。
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